夕飯は早めに食べようと、地元の人に人気だというワンタンミーの店に行った。
中華系の経営するその店は、よく磨きこまれたタイルの壁も清潔な、感じのいい店だった。入り口近くのオープンキッチンに大きな鍋がかかっていて、美味しそうな湯気が上がっている。早めの時間にもかかわらず、店内にはすでに何組ものお客さんがいて、地元の人に愛されている店の感じがよく伝わってきた。
席に着くと入り口の方から、西の空がだんだんと色を変えて行くのが見える。さっぱりとしたスープにコシのある細麺を合わせたワンタンミーを食べながら、ずいぶん遠くへ来たな、と思う。ユーラシア大陸の南の果て。
特に目的もなく、観光らしい観光もせずに、バトゥ・パハの日が暮れる。あとは宿に帰って寝るだけだ。
翌日も足の向くまま町を歩いた。
規模は大きくないが活気のある朝の生鮮市場をのぞいたり、周辺のガラクタ市のようなところを冷やかしたり。バトゥ・パハには古びた建物がよく似合う。保存された古さではなく、使っているままに朽ちて行く古さだ。
バトゥ・パハ川の側まできて、大正から昭和にかけて活動した詩人、マレー蘭印紀行を書いた金子光晴が逗留したという旧日本人クラブがあった建物を探した。古びて廃墟のようになった建物の近くに、彼がいつも朝食を食べたりお茶を飲んでいたという茶室、今でいうコーヒーショップもあったというが、すでに今はもうない。
営業していた別の店に入って、出発前最後のコピを飲む。バトゥ・パハをこよなく愛したという詩人が見た風景とは違っているかも知れないが、おそらく同じであろう空気を吸い込んで、バトゥ・パハを後にすることにした。
(2013年6月)
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